大東流とは

大東流の起こりは、今からおよそ900年前に清和天皇の末孫である新羅三郎源義光が、代々清和源氏に伝承されていた武術を元に、これにさらなる研究工夫をこらして集大成したものであると伝えられています。義光は、討ち殺した賊兵の屍体を解剖研究してその骨格の組立を調べ、逆極手の技と当身殺法の術を極め、さらに、女郎蜘蛛が自ら張りめぐらせた網の上で自分より数倍大きな獲物と戦う様子をみて、相手をからみ取る手練の技の暗示を受け、合気柔術の極意を極めたといいます。
この義光の技は、その孫信義が武田姓を名乗るようになってからは甲斐武田家の家伝の秘術として伝えられていましたが、武田信玄の他界後、武田国継が会津藩に仕えるようになったことなどを機縁にして、後に会津藩御留技として五百石以上の重臣、奥女中、側近者にのみ伝授されるようになりました。これにより、元来戦場での合戦用の技であった義光の秘術に殿中における独特の作法の中で使用するための再編成がなされ、この流れを特に殿中護身武芸「御式内」と呼んだとされます。

武田惣角源正義翁
武田惣角源正義翁

こうして会津武田家と会津藩の門外不出の秘術として密かに伝えられていた武術は、明治維新後、大東流合気柔術中興の祖といわれる武田惣角源正義翁の手によって世に公開指導されるようになり今日に至っております。

武田惣角翁は、安政六年(1859)武田惣吉の次男として会津・武田屋敷に生まれました。幼少の頃より武道を志し、父惣吉より剣術、棒術、槍術、相撲、大東流を学び、会津藩士渋谷東馬の道場においても小野派一刀流の修行に励み、さらに長じては榊原鍵吉の内弟子となり直心影流を、会津藩の元家老西郷頼母(保科近悳)からは御式内を学びました。
以後は、小野派一刀流と大東流の二流を名乗り、全国各地を武者修行して大東流の秘技を普及指導しました。その生涯の門人数は3万人余にも及ぶといわれています。


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